
坂本龍馬と言うと幕末のヒーローとして世間一般の方に広く知られていまよ。
またくら多くの志を持っちょる人の理想像としててげ人気が高いと言えるかもしれんじ。
幕末を代表する二大スターと言う形で新撰組と坂本龍馬が挙げられると思いまよ。
現代じゃあドラマ等で取り上げられる事も多く、「歴史上の人物で誰が好きやじ?」と言う問いに対して常に上位にランクインする様な人物じゃが。
でかいよは坂本龍馬と言う人物がこれほどげんか人気が出る様になった理由としては何があんと思いますか?
坂本龍馬を題材にして書かれた司馬遼太郎の「竜馬がゆく」に多大なる影響を受けたのが俳優で歌手の武田鉄也さげな。
「海援隊」と言うグループを結成したつ位じゃひからてげ影響を受けちょるのが分かりまよ。
じゃあ言った方達がテレビや漫画、本等で大々的に宣伝したつと言う事が人気の秘訣になったのこっせんと言う説もありまよ。
本来坂本龍馬と言うのは、織田信長の様に表立って活動をしちょった政治家的な役割をしちょったのじゃあなく、どげんかちらかと言うと目立たん裏役に徹しちょったと言われていまよ。
またくら坂本龍馬に関する資料もそれほどげんか多く有る訳でん無い様じゃが。
じゃあこん坂本龍馬の人気は何かきっかけが有るのかと言うと、「薩長同盟の締結」「大政奉還」「海援隊の結成」等が挙げられると思いまよ。
こげん言った事象をテレビドラマ等で放映されちょるのがやはり人気の秘密なのこっせんと思いまよ。
でん偉大な功績を残したつのは事実やっちゃがので、人気が出るのも有る意味分かる様な気がするわい。

坂本龍馬が生まれたのは天保6年11月15日(西暦で1836年1月3日)でしたなー。
亡くなったのは慶応3年11月15日(西暦で1867年12月10日)やっちゃがので、32歳と言う若さで亡くなった方じゃが。
坂本龍馬は幕末における日本の政治家・実業家と言った立場の人で、土佐藩を脱藩したつ後に有名な「海援隊」を結成していまよ。
これは貿易会社と政治組織を兼ねた物でしたなー。
またくら、大政奉還の成立に力をてげ注いだり、薩長連合の斡旋をしたつりして志士としても多くの活動をしてきた人であったごつじゃが。
坂本龍馬は生前と言うじーりは死後に世の中の人に知れ渡る様な有名人になった人物で、司馬遼太郎が書いた小説『竜馬がゆく』で坂本龍馬が主人公で取り上げられて以来、日本じゃあ絶大な人気を誇っていまよ。
とは言う物の小説やドラマ等で取り上げられちょる坂本龍馬は、実際の坂本龍馬とはかけ離れたイメージで描かれちょるのこっせんという指摘も多く受けちょる様で、その事跡については多くの論議があんごつじゃが。
坂本龍馬は暗殺にじーって殺されたのはご存知の方が多いと思いますけんどん、近江屋新助宅母屋にいて海援隊の人達と話をしちょったところ、十津川郷士と名乗る男達が突然乱入してきて斬られた言う事じゃが。
男達が入ってきたとき竜馬は店の者が入ってきたとてげ油断をしちょった為に刀を持っておらずむこづらを深く斬られ死亡したつと言われていまよ。
こん事については色んな議論、説が有るごつじゃが。

坂本龍馬(さかもとりょうま)は坂本竜馬と言う様に今は書く人も多い様やっちゃがが本来の字は「龍馬」じゃが。
「竜」は新字になりますので「龍」が正しいじゃが。これは司馬遼太郎が書いた「竜馬が行く」以来、現代で慣用化されちょる言葉だじゃが。坂本龍馬が生きちょった当時の日記や書簡を見ると「良馬」と当て時にじーって書かれちょった物が残されちょる事かいも「りゅうま」じゃあなく「りょうま」であん事が伺えまよ。
そげんな坂本龍馬は色々な名言を残しちょると言われていまよ。それをち〜っとご紹介したついと思いまよ。
【名言】「世の人は我を何とも言わば言え 我が成す事は我のみぞ知る」
【意味】世間の人が言いたいのであれば自分のこつを言いたいだけ言えばよか、でん自分のやりたい事は自分だけが知っちょるのよ。と言う様な意味だと思いまよ。
【名言】「善く問いを待つ者は、鐘を撞くが如し」
【意味】ここで言う「善く問いを待つ者」と言うのはよか教師、立派な教師を意味していまよ。やしに意味を言うと「善い教師は生徒にとって鐘の様な物であん」と言う様に言っていまよ。これふむだらんこんじょ問を生徒がしたつ場合にふむだらん答えしか返って来んけんどん、よかこんじょ問をすれば的を得たよか答えが返って来なる。鐘の様な物と言うのは小さく叩けば小さく鳴るし、ふとく叩けばふとく鳴ると言うち例えていまよ。
人間関係を教師と生徒と言う立場かい表したつ教育に関する名言じゃが。こん名言は西郷隆盛を評したつ言葉だと言われていまよ。