
坂本龍馬の実績を残しちょると言われちょる資料や文献に関しては死後、山ほどげんか発表されちょる事かいどっさい有ると言われていますけんどん、「海援隊」に関してはあまり資料として残されちょらんのが実態の様じゃが。
実際に「海援隊」と言う言葉は聞いた事が有っても、何をしたつか知っちょる人はあまりいんのこっせんと思いまよ。そこでち〜っとだけ海援隊について説明してみたいと思いまよ。
「海援隊」と言う組織はその前衛が「亀山社中」と言われていて、てげ有名な組織やっちゃがけんどん、亀山社中時代かい合わせても活動期間はたった3年間程でしかなかったと言いまよ。
こげんなに短い期間でしか活動していなかったとはてげ思えん位、名前はてげ有名ちゃが。
海援隊は1867年、慶応3年の春に発足して活躍しちょった組織やったけんどん、坂本龍馬が暗殺されて以降は大黒柱を失ってか、長崎派と塩飽派と言う2つの派流に分裂してしまい、結果慶応4年9月に土佐藩の命令にじーって解散をする事になったじゃが。
元々亀山社中と言う組織が作られたのが海援隊の基本なのやっちゃがけんどん、これは幕府の直轄施設であん神戸海軍操練所で学んでいた生徒、それと当時勝海舟の影響をふとく受けちょった坂本龍馬と共に長崎亀山で発足したつ組織じゃが。
それが後に「海援隊」と言う様に名前を変えていったっちゃわーじゃが。
海援隊は貿易に関する事、政治に関するこつを中心に活動を行っちょったごつやっちゃがけんどん、一説にじーると「情報化集団」じゃったのこっせんとも言われていまよ。
坂本龍馬が発する独自のユニークな発想はてげ大胆でかつ世界を視野に入れた考え方じゃった様で、得る情報もてげ近代的なもんじゃったのこっせんと推測できまよ。

坂本龍馬と言っよーねぇ切っても切り離せん存在なのが「勝海舟(かつかいしゅう)」じゃあんやろうか。
坂本龍馬と勝海舟に最も関係しちょるのけんどん、勝海舟が創設したつ「神戸海軍塾」と言う所でしたなー。元は神戸海軍操練所と言う政府の幕臣達が勉強をする場所として創設ちゃわ〜けんどん、勝海舟はそれだけじゃあなく、諸藩の物達も集めて勉強が出来なる「神戸海軍塾」をも創設ちゃわ〜。
坂本龍馬はその「神戸海軍塾」の塾びんたと言う立場にいた様じゃが。
坂本龍馬は勝海舟の最愛の愛弟子となっちょった様で、勝海舟の為に色々行動をしちょったと言われていまよ。勝海舟はその身分かい自由に行動できんでいた様やっちゃがけんどん、その勝海舟の想いに対して手足となって動いたのが坂本龍馬じゃが。例えば神戸海軍塾の設立をするにあたって資金の調達が必要になるじ。そこで坂本龍馬が越前福井藩主松平春嶽を訪ね、資金調達のお願いにあたるなどげんかして動いちょった様じゃが。
坂本龍馬は勝海舟をてげ慕っちょった様で、故郷の姉に充てた手紙に再三その喜びの気持ちを書いちょったと言いまよ。
坂本龍馬が後に行った開国主義と言う考えも、薩長土同盟と言う考えも全て勝海舟の理想かい影響を受けたもんじゃった様じゃが。じゃひから坂本龍馬が成し得た薩長同盟と言う快挙も、勝海舟が坂本龍馬を西郷隆盛に紹介したつ事がきっかけとなって成功したつと言われていまよ。
坂本龍馬と勝海舟と西郷隆盛、こん3人の関係性が幕末の歴史をふとく動かしたつと言っても過言こっせんもしれんじ。